2014年6月の記事一覧

Amazonが小型無人機による宅配サービスの計画を打ち出し、2015年には実現すると言われていましたが、雲行きが怪しくなってきたようです。現在は主に軍事的に利用されている小型無人機を2015年には商業的に利用できるように米連邦航空局(FAA)が解禁を検討していてそれに合わせてAmazonも宅配サービスを始めるという計画のようです。

これがそのイメージ動画です。

ただ、商用利用は解禁しても宅配サービスは安全性の面から認可しない可能性が示唆されたようです。

確かにかねてから小型無人機による宅配サービスには様々な懸念がささやかれてきました。どんな心配があるのでしょうか?

まず、小型無人機が本当に安全性の高い飛行を定期的に行ってくれるかと言う懸念があります。実際現在でも航空機となぞの無人機とのニアミスなども生じているようであり、今後そのような無人機が空を飛び交うようになると衝突事故などが多発するような心配もあるでしょう。

さらに、プライバシーの問題もあります。現在でも小型カメラを搭載した無人機が比較的安価で入手でき、簡単に空からの映像を撮影する事が出来ます。スパイ利用のように悪用すれば確かにプライバシーが危険にさらされるでしょうし、ましてや個人の荷物が途中で奪われてしまう危険もあるかもしれません。

さらに、小型無人機による宅配が解禁されたら違法な物の運搬に利用される危険も高まるかもしれません。無人機だけにその内容を判別する事は難しく、取り締まるのもさらに高度な技術や法律が必要になる事でしょう。そもそも、例え宅配が解禁されたとしてもAmazonの利用者すべての範囲を網羅するだけの許可を得る事は出来ないでしょうし、それだけの無人機を確保する事も飛ばす事も現実問題として出来ないかもしれません。

このようにAmazonの空飛ぶ小型無人機宅配サービスには例え離陸出来ても飛び越えられない様々な高い障壁がありそうですね。

ただ、このAmazonの斬新な取り組みは夢のある計画である事は事実です。何よりも安全性が確保できるような取り組みが実を結び、いつの日か実現するといいですね。

テクノロジー

中国で全能神という新興宗教が暴行事件を起こしネットで動画も公開され衝撃が広がっています。

全能神は「東方閃電」とも呼ばれ、1991年にキリスト教の一派として黒竜江省にて誕生したと言われその創始者は1951年に黒竜江省で生まれた趙維山と呼ばれる人です。もともとはキリスト教の一派で現在でもその流れを汲んでいるようですが、一般的なキリスト教とはあきらかに異なり、独自の教会を設立し、他のキリスト教系団体からも異端視されています。

強い組織力を持ち、入信すると金銭が支給されるらしく、貧困層を中心に信者を増やしているようですし、中国共産党を嫌って海外移住をする人たちからも支持を得ているようで、中国国内に300万人ほどの信者を擁し、拡大中であり、海外では日本やアメリカ、カナダ、シンガポール、韓国、インドネシア、マレーシアなどに支部が設立されていて日本には東京に支部が置かれていて特に在日を中心に勧誘が勧められているようです。
また脱退することはとても難しいようです。

マクドナルドで全能神の信者が起こした暴行事件はマクドナルドで信者が行っていた勧誘活動に女性が拒否したことで口論になり女性に対する集団的な暴行へと発展したようですが、女性はスチール製の椅子で殴られた後、倒れ込んだ後、頭部を激しく蹴られ、ステンレス製のモップで持ち手が折れるほど何度も執拗に頭部を殴られたようです。残念なことに、マクドナルドの前に警察署があったにもかかわらず、事件を止めることが出来なかったようで女性は死亡しています。

これまでにも全能神の信者によって集団殺人があり、全国で1000人近くが中国当局によって逮捕されているようです。

何ともいえない事件ですね。本来宗教とは愛や平和をもたらすものであるはずです。それが自分たちの信条に固執するあまり、恐ろしい凄惨な事件にまで発展するのは残念なことです。もちろん今回の中国の全能神に限らず、中東問題や世界各地で生じているテロ事件を引き起こしているすべてのカルト問題に当てはまると思います。

もちろん宗教自体が問題なのではなく、入信している信者に問題があるということもあるでしょう。宗教が政治的に利用されるということもあるのだと思います。

今回の全能神も中国共産党に不満を持つ人たちを中心に支持を集めているようです。現行の政治形態を変えたいという人たちの願望と宗教の教えとが一致し、入信者が増え、でもそのような入信者の真の願望は政治を変えることにあるので、宗教の名の下に大義名分を得てあのような過激な行動が生まれているのかもしれませんね。

全能神は中国共産党を『巨大な赤い龍』と呼んで敵視し、これを倒して新政府を樹立する事をめざしているようです。また、全能神を信じるものだけが救われて信じないものはすべて滅ぼされると信じ、「護法隊」なる実動部隊によって入信を断った人や脱退を願う人たちに暴力を振るう事件が起こっているようです。このような現状から中国当局は全能神を邪教指定し警戒を強めているようです。

全能神はキリスト教の影響を受けているようですが、確かに聖書には緋色の野獣や龍は悪魔サタンを表し、黙示録によるとハルマゲドンにおいては緋色の野獣や龍は神によって滅ぼされるという事が述べられています。その後は神の国が全地をおさめ平和が実現するという事ですが、何と言っても中国の象徴である国獣は龍です。古代から皇帝のシンボルに龍はなっていましたからこのキリスト教の教えは中国政府に不満を持つ人たちにとって受け入れやすいものとなっているのかもしれませんね。国家を倒して自分たちを救ってくれるという教えですから中国当局としてはほっておく事は出来ないでしょう。

ただ、聖書にある龍を滅ぼす者は神であって信者じゃないと思うのですよね。イエス・キリストは「剣をとる者は剣によって滅びる」と述べていますし、「右のほほを平手打ちする者には別のほほをも向けなさい」とまで述べていて信者が戦争に加わる事を認めていませんし、そもそも、龍は中国当局の事ではありませんから、もし全能神の信者がそのような信条に基づいて報道されているような事件を本当に起こしているのであれば全くの勘違いだと思いますけどね。犠牲者の方達が本当に可哀想ですね。

もっとも、このような事件の背後にはこれまでもあったように中国当局の保身のための情報操作という事も考えられなくはありません。中国当局を脅かすものを弾圧するために末端の不祥事を取り上げ、組織全体を弾圧するということもあり得ると思います。

ですから、事情がはっきり分かるまで極端な見方で特定の組織や個人を見ないようにもしないといけませんね。

偏見が悪感情を生み、悪感情は暴力行為に発展しますから。。。

宗教

長渕剛さんが元マネージャから暴行を受けたとして約211万円の損害賠償を求める訴訟を起こされたようです。かねてから長渕剛さんの暴力は問題になっていて、本人もご自分が手を上げることがあることを認めておられます。例えばYouTubeで探すと暴力に関して持論を展開している音声動画がありました。

長渕剛さんの持論によると暴力は否定しているようですが、コミュニケーションの過程で相手から言葉による暴力よって傷つけられたりした場合などにそれに応じる際肉体言語は正当化できるということだそうです。もっともその加減も考慮しなければならないようですが、基本的にコミュニケーションの手段の一つとして肉体言語(暴力?)も許されるという考えのようです。

確かにこのようなお考えを持っておられるようなら長渕剛さんの周囲の関係者の方は一発や二発、あるいはそれ以上、報道されているように暴力を振るわれた人はいらっしゃるのかもしれませんね。

これまで表沙汰にはならなかったものの、これまでドラマのADや音楽の関係者、事務所のスタッフなど数多く被害にあっているようです。

わたし個人としては暴力はどんな場合としても正当化されるものではないと考えています。もちろん長渕剛さんが述べるように人と真剣に向かい合って意思を通わせる際、ぶつかり合い、それが暴力に発展してしまうことはよくあることだと思います。ただ、それはコミュニケーションとしては失敗であり、問題をより複雑にするものだと思います。絶対それを正当化できないと思います。また、言葉による暴力。例えば穏やかな言葉で人を落としめたり傷つけたりすることも同様に良くないことですよね。確かに今の社会では肉体言語(暴力)はタブー、言葉による罵りや暴言もタブーとされていますが、それらを犯していなければ表面的なへつらいの言葉や穏やかな言葉で人を落としめたり傷つけたりしても問題視されないのが現状ですよね。明らかな暴力や明らかな暴言は裁けても人の心の中にあるものは裁けませんからね。

 

 

ですから結局、真の問題は表現方法ではなく、人の心の中にあるのではないでしょうか?人を心から愛し慈しむ心があるなら、暴言を吐くこともないでしょうし、穏やかな言葉で人を傷つけることもないでしょう。また同じように人を心から愛し慈しむ心があるなら暴力に訴えるということは絶対ないと思います。あばら骨が折れなければいいとかそういう問題ではないですよ。相手の心身にどういう影響があるのか私たちは正確なことは分かりません。自分や他の人には成功した方法でもその人に受け入れられるとは限りません。私たちは表現方法に関して独善的にならないようにしないといけませんね。

もっとも、わたしは暴力に関連して、体罰は絶対よくないかと言うとそうではないのではないかと思います。いっさいの体罰を禁じる風潮は逆に人を教える機会を奪っているのではないかと思います。ただ、体罰が必要なのは本来子供の時期なのではないかと思います。特に親は我が子を教育し訓練する際にどうしても体罰が必要な時があるように思います。でもその際にもいつも必要というわけではなく、言葉による諭しや何かの失敗の責任を取らせるなどの方法をとってもどうしても改善されないような場合に、感情を制御しつつ適度に体罰を与えることはあり得るのではないかと考えます。

でも、現実には忙しい生活を送っている親は子供のことをそこまで理解していないことがほとんどであり、言葉による諭しも十分に与えられず、感情を爆発させて暴力的に子供に体罰を与えるということがよくあるのではないでしょうか?子供は親の愛や愛情を感じることが出来なくなり、体罰を忌避するようになります。あるいは自分が受けた感情的な暴力を他の人に同じように示す子供が出来上がります。

そのようにして、子供が集団活動を始める学校入学までに十分に訓練された子供が育たないため、在学中も就職してからも体罰が必要だと感じさせるような未熟な若者が増え、学校や職場ではいじめや言葉による暴力や文字通りの暴力が横行するようになります。

長渕剛さんの主張を聴くと精神の強さ=身体的な強さ=暴力の肯定というような考えを強く感じるのですが、人の内面の強さはそれだけではないように思うのですけどね。

 

ただ、長渕剛さんは本当に一生懸命に生きている人なんだなと改めて感じました。今は何となく生きている人多いのだと思います。ですからあまりにも真剣な人、一生懸命になる人にはひいてしまう人が多いのではないでしょうか?

わたしは暴力など同意できない点はあるものの一生懸命生きておられる長渕剛さんは魅力を感じますね。そのような魅力があるので長渕剛さんの音楽や歌詞は人々の共感をよんできたのではないでしょうか?

実はわたしも昔、長渕剛さんしか聴いていなかった時期がありました。彼の歌や歌詞は心に突き刺さるものがありますよね。アルバムもぜんぶ持っていましたよ。ドラマも「家族ゲーム」や「親子ゲーム」「親子ジグザグ」とか大好きでしたね。「とんぼ」くらいまでですかね。それ以降はついていけなくなりました(笑)

でも今でも音楽に関しては徹底したポリシーを持っておられる方ですよね。音楽的には本当に素晴らしい方です。

一昨年、『バブルガム・ブラザーズ』のブラザー・コーンが暴力行為等処罰法違反の疑いで警視庁に逮捕された際の被害者T氏が今回長渕剛さんを訴えた元マネージャーだそうでなんか意味深ですが、今後どのような進展があるのか注目ですね。

 

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音楽


子供置き去り問題は深刻ですね。共働きなどで仕事が忙しい親もいるのだとは思いますが、2014年3月末までの3年間に全国で自宅に置き去りにされ親に育児放棄された子供が483人に上るという調査を読売新聞が発表しています。この483人の中には親が子どもを自宅に残したまま音信不通になったり、屋内外に長時間、頻繁に放置したりしたケースのほか、出産直後の「捨て子」も含まれるようですが、子供の生命が奪われてしまってから発見されることも多くあるようです。

子供置き去り事件は2004年の『誰も知らない』という映画ののモチーフにもなった東京都豊島区で1988年に発覚した巣鴨子供置き去り事件をはじめ、大分子供置き去り事件や大阪 子供置き去り事件、東京 子供置き去り事件や苫小牧母親の子供置き去り事件、豊島区子供置き去り事件などこれまでも各地で生じていますが、そのように大きく報道されていないものも数多くあるということですね。

2014年5月には神奈川県厚木市で、アパートに置き去りにされた男児の遺体が発見されるなど、置き去りにされた子供が衰弱死することも相次いでいますが、餓死寸前で保護されるケースもあるようで、詳しい現状を把握して、危険にさらされている子供たちを保護してあげたいですね。

この子供置き去り問題に関して国や自治体はこれまで、詳細な調査や特別な対策は講じてこなかったことに関して問題視する意見もあるようですが、どうでしょうかね? 家庭内で生じている問題にどこまで行政が関われるのでしょうか?普通に考えて、昨今の人間関係が希薄化している社会において、家族や親族が知り得ないことを周囲の人や行政がどれほど把握できるでしょうか?たとえ気になることがあったとしても僭越に口出しできないというのが現状かもしれません。本来、家族や親族ないで状況を把握し合って助け合うべきだと思いますが、家族や親族の関係も希薄化しているので現在のような問題がますます増えているのかもしれませんね。家庭内で問題が解決できない現状を考えるとこれ以上子供の犠牲者を増やさないためにも行政の何らかの対応は不可欠だと思われますが、それは問題の主要な解決策ではなく、あくまでも現状に対処するための増し加えられた手段であるということを忘れないようにすることも大切だと思います。

結局この子供置き去り問題の主要な解決策とは何でしょうか?
それは子供を置き去りにしない親を育てることではないでしょうか?この部分を野放しにして行政の対策ばかり取り組んでもシステムを複雑にするだけで問題の解決にはならないように思いますけどね。どんな問題でもそうですが、問題が生じてから対処するのではなく問題が生じないように予防することが重要です。子供置き去り問題に当てはめるなら子供の生命が脅かされてから行政が対応するのではなく、子供置き去りを含むすべてのネグレクトが家庭で生じないようにすることです。

そのためには家族のあり方、親として、子供として、祖父母としての役割を家族の各成員があらためてよく考えるところから始めなくてはならないかもしれませんね。
もっとも普通の感覚を持っているなら通常親は子供を愛し、慈しみ、養うものです。特に母親には母性本能と呼ばれるものがあり母と子は強い絆で結ばれるものです。

では親が子供置き去りにする原因は何でしょうか?この原因を知り、可能な限り問題の原因を取り除いてゆけるなら子供置き去り問題を解決してゆけるかもしれません。

親が子供置き去りにする原因は一つではなく様々な問題が複雑に絡み合っています。それぞれの家庭によって異なっていますが、各家庭で問題点を見極め改善を図ってゆく必要があると思います。

例えば多くの家庭で子供置き去りを含むすべてのネグレクトの原因となるものには次のようなものがあるかもしれません。

経済的問題

離婚や再婚

結婚する用意ができていないのに子供ができる

などです。

経済的問題は深刻です。子供を育てる強い本能を持った動物でも餌がなければ育児放棄したり、我が子を食べる動物もいます。人間も同じです。さすがに子供を食べる親はいませんが、(過去には戦争の籠城などの飢餓状態ではあったようですが。。)深刻な経済的な問題が長期化するなら育児放棄などのネグレストや置き去りにする親が現れても不思議ではありません。現在の世界経済の悪化や日本国内の雇用問題を考えると育児放棄する親が増えてもおかしくないかもしれません。子供置き去り問題の直接の責任は行政にはないかもしれませんが、行政が行えることとしては経済的問題の解決でしょうか?すべての家庭が子供を十分に養えるだけの収入が得られる仕事と、子供を養える環境と時間が与えられなければ子供置き去りや育児放棄の問題は解決しないかもしれませんね。政府は女性の経済的な役割を増してゆくことを推進してゆくようですが、子育てをしながら職場でも活躍するということはなかなか出来ることではありません。上手にこなしておられる方もいらっしゃるようですが、そのような女性は少数の『成功者』ではないでしょうか?他の多くの女性は同じことをして結果的に職場を犠牲にするか、子供を犠牲にすることにはならないのでしょうか?今となっては古い考えかもしれませんが、女性が家庭で育児を含む主婦業に励むということは本来とても重んじられてきたことです。『主婦』『奥様』という言葉はとても重んじられている人たちに使われていた言葉です。しかしいつしか、主婦業は卑しい雑用を行う人、奴隷のようなイメージを持つ人たちもいるようですが、もともとはそうではなかったのですよ。現在男性の立場も低下し、リストラなどで収入も低下し、その結果その妻、主婦の立場も低下し、主婦の立場でとどまっていてはいけないと考えて自活する道を選ぶ女性も多いと思います。でも、共働きで経済活動に夫婦が重きを置くと例え収入は増えても子供と過ごす時間が少なくなり、関係が希薄化する要因にもなります。場合によっては収入はそれほど増えず、関係だけが希薄化するなら最悪ではないでしょうか?

各家庭がどのような経済活動をし、どのように子供との時間を過ごすべきなのかについて自分の考えを押し付けるつもりはありませんが、わたし個人としては、父親が主要な収入を得るために働き、母親は家計を見守り多少の副収入をえつつ子供との時間を多く過ごし、且つ、子供の教育に関しては父母が共に携われるような経済状態にすべての家庭がなれるような社会になれるといいなと思います。

離婚や再婚結婚する用意ができていないのに子供ができるという要因も難しい問題です。離婚すると当然経済的な問題を抱える可能性もありますし、子供を独りで育ててゆかなければなりません。また離婚によって人間関係が変化し、それによって子供に対する関心が薄れるといったこともあるでしょう。離婚後また再婚したなら再婚相手と子供との関係で複雑な問題が生じることもあり、それが虐待に発展することもしばしば見られるようです。また、子供を持つことの意味を十分に認識せずに子供を作る人たちは子供が産まれた後も自分たちの気晴らしを優先させるかもしれません。このような家庭の崩壊に関係した問題も子供置き去りの要因になる深刻な問題ですが、根底には道徳の崩壊が関係しているのではないでしょうか?各自が行う結婚、離婚、再婚は理由は様々でありその良し悪しをとやかく述べることはしませんが、もし根底に道徳の低下や崩壊が関係しているならその部分を強めなければ育児放棄や虐待の問題はいくら行政が対策を講じても解決できないでしょう。

もし深い考えもなく性行為を行い、育てる準備もなく出産し、精神的な成熟に達していないにもかかわらず家庭を持ち、すぐに離婚し、またすぐに再婚しているなら問題が生じないほうが不思議ではないでしょうか?

したいことをすぐにでも行い、欲しいものをすぐさま得、思ったことをすぐに口にし、聞いたことにすぐに腹を立て、すぐにあきらめ、すぐにいきり立ちつような人が家庭を持つとしたらどうでしょうか?家庭内で問題が生じないほうが不思議です。

もちろん子供置き去り問題や育児放棄、児童虐待などの問題の原因は上記以外にも様々な要素が関係しているはずです。問題の解決方法に関しても様々な意見があり、上記以外にも効果的な方法があるかもしれません。

ただ、問題の本質、根本的な原因について考えると、家庭での意識の向上を図ること、親としての自覚を持つことはもっとも重要なのではないかと思います。

周囲や行政も何か出来るといいですね。わたしが望むのは経済的な問題の解決と、希薄化しつつある人間関係をもっと強めることですね。

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家庭

2014年6月18日参議院本会議で18歳未満の子どものわいせつな写真や映像などいわゆる「児童ポルノ」の単純所持を禁じる改正児童ポルノ禁止法が、賛成多数により可決、成立したようです。6月5日に衆議院本会議で可決された際、日本雑誌協会と日本書籍出版協会は児童ポルノの定義が曖昧であるので、どのようにでも解釈される可能性があると指摘し、「児童保護という本来の目的を逸脱し、表現規制に繋がる危険性をはらんでいる」と主張し、反対声明を出していました。

しかし今回の改正にあたっては、これまでの「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」などとしていた児童ポルノの定義に、「殊更に児童の性的な部位(性器等若しくはその周辺部、臀部又は胸部をいう。)が露出され又は強調されているもの」といった内容が追加され対象範囲をより限定したようです。

さらに、適用上の注意としては「学術研究、文化芸術活動、報道等に関する国民の権利及び自由を不当に侵害しないように留意」するといった文言も加わっており、「児童を保護しその権利を擁護するとの本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあってはならない」と明記されるようになりました。

これにより『児童ポルノ』に関するより明確な定義付けとなり、児童保護と言う本来の目的にかなうものとなり、かつ表現の自由も守られると良いのですが。。

 

 

今回の改正により児童ポルノを単に販売しただけではなく、単純に個人所持しているだけでも1年以下の懲役または100万円以下の罰金が科せられることになりますので、なかなか厳しい法律となりそうです。

もっとも、今回の改正法は2014年7月に施行される予定のようですが、猶予期間として施行から1年間は罰則を適用しない方針のようです。この1年の間に国民にこの児童ポルノに関する国の方針を認識していってほしいと言うことでしょうか???

この児童ポルノ禁止法の改正に反対する人たちに気持ちも分かります。児童ポルノの定義が曖昧で、アニメやCGなどは適用されないと言うことなので、本当に児童への性的虐待の抑制になるのだろうかと言う疑問もあります。本来『所持するだけで処罰を受けるのは、銃刀類・麻薬などのように、野放しにすれば国民の安全を脅かすものが原則である。』と述べる日本雑誌協会の主張ももっともです。例えば自分が、我が子の裸の写真をパソコンに保存していたらどうなるのでしょうか?もし逮捕されるとしたらなかなか厳しい法律だと思いますし、逮捕者続出になるのではないかとも思われます。

ただ、現在の児童への性的虐待やリベンジポルノなどの問題を考えると歯止めをかけるために今回のような改正を行って規制をかけざるを得ないと考えるのももっともなことのように思われます。法律と言うのは融通が効かないもので、融通を利かせると法律の抜け道を見つける人が現れ、結局問題の抑制にならず、逆に不自由だけが残るようになると言うのは児童ポルノだけにとどまらず、他の問題でも同様です。現状を考えると融通がきかない法律で自由が奪われるのは仕方のないことなのかも知れませんね。

交通規則でも皆がスピードを出して追い抜きをかけ事故が多く発生する場所ではたとえ見通しがよく、まっすぐな道路であっても、追い抜き禁止や速度の制限がなされたりするようになります。ドライバーは追い抜きする自由や速度を上げる自由を抑制されることになりますが、それによって交通事故の減少に役立つことになるかもしれません。

同様に現在の児童ポルノの関係した様々な問題を考えると表現の自由を多少制限することになっても児童を守らなければならないという考えからの規制なのでしょう。反対する人たちの主張も分かりますが、現状を考えれば無理もないと思います。

ただ、交通規則の場合、規制しても交通事故が減らない場合、ただ規制だけされ問題が解決しないことになります。自由が制限されるだけと言うことになるわけです。児童ポルノの問題も改正され取り締まりが厳しくなっても児童ポルノに関わる問題が減少しないならただ規制だけが厳しくなるだけで、反対者からの批判も強まることになるでしょう。児童ポルノに関わる問題が減少すると良いですけどね。ある程度の減少には繋がるでしょうが、なかなか難しいかもしれませんね。

結局何が問題なのかというと交通事故の場合、自由を誤用して、無理な追い越しをかけたり、スピードを出し過ぎたりする人がいるから事故が発生するのです。結果規制をしなくてはいけないのです。同じように児童ポルノに関する問題も児童ポルノを明確に定義しなくてはなりませんが、結局のところ個々が自由を乱用し、表現の自由をはき違えていることが問題なのではないでしょうか?児童の画像のどのようなものがよく、どのようなものが悪いのか人によって考え方や感覚は異なるのでここで論じるつもりはありませんが、児童ポルノに関係した問題が蔓延していてなんとかしないといけないのも事実です。結局やり過ぎてしまったのですよ。規制されて当然です。

ただ、『所持しているだけで』ということが実際に施行されるようになる時にどのようなことを意味するのか興味深い点ですね。間違っても犯罪者を見過ごし、単に愛する我が子の写真を所持しているだけの親が逮捕されると言うようなことにならないでいただきたいものです。

あくまでもこの改正法が「学術研究、文化芸術活動、報道等に関する国民の権利及び自由を不当に侵害しないように留意」するものであり「児童を保護しその権利を擁護するとの本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあってはならない」ものであることを願います。

 

 

法律

2014年3月31日に国際司法裁判所(ICJ)が南極海での調査捕鯨中止を日本に命じた判決が出されましたが、楽天などネット通販大手が鯨肉の販売を禁じたり、仕入れをやめる飲食店が出始めたりしているようで、南極海での調査捕鯨中止を日本に命じた判決の影響が広がっています。

私たち人間は魚を食べますし、鶏肉や豚肉や牛肉を食べますし、それを禁じられてはいないのに、どうしてクジラは食べては行けないのか、日本の捕鯨の何が問題視されているのか考えてみましょう。

まず現在、捕鯨賛成国

日本、ノルウェー、アイスランド、デンマーク、ロシア、モロッコ、カンボジアなどです。

捕鯨反対国

英国、米国、ブラジル、オーストラリア、ニュージーランド、フィンランド、フランス、スペイン、ドイツ、イスラエルなどです。

ここからまず、世界の主要国、影響力の強い国々は捕鯨反対国であるということが分かるでしょう。

民主主義的に問題を解決するなら多数決です。捕鯨反対国が多数を占めているわけですから、決められた法律は守らなければ国際社会をリードする国にはなれないでしょうね。

そういった意味でこの世界的な反捕鯨の風潮が変わらない限り、日本がだだをこね続けるのは賢明ではないでしょう。実際、日本政府も判決結果に従っていますし、企業もそれに従っているということです。

では捕鯨反対国はなぜ捕鯨反対なのでしょうか?

その理由としては主に次のことがあげられます。

1、クジラ乱獲による絶滅の危惧。

2、捕鯨の方法が残酷である。

 

 

1、クジラ乱獲による絶滅の危惧について

長年の人類が行ってきた捕鯨によってクジラの数が激減しました。その結果国際捕鯨取締条約に基づき、商業目的の捕鯨が禁止されています。クジラは魚と異なりほ乳類ですから、沢山の子孫を一度に残すことは出来ません。子クジラの発育にも時間がかかるため、一般の漁業のように捕っていると絶滅してしまいます。現に乱獲により、世界的に数が激減し、商業捕鯨が禁じられるに至りました。もっとも例外もあり、食料資源の乏しい、アラスカなどの北極圏においては原住民生存捕鯨と呼ばれる捕鯨が例外的措置として許されています。また、研究目的の調査捕鯨は許されており、日本がこれまで行ってきたのはこの調査捕鯨です。ただ、この日本の調査捕鯨は名ばかりであり、実際は商業捕鯨であるとして各国から批判を浴びてきました。

確かに、日本人が食卓に並ぶクジラが調査目的として捕られたものであると認識して食べていた人は多くないかもしれません。

クジラの生態調査に関しては各国ではクジラを生きたまま観察し、調査する方法が採用されるようになっており、日本が行っている調査捕鯨はクジラを殺してしまうので調査資料としては一回きりのもので、無駄が多く、結果的にその肉を商業利用するしかなくなっており、問題視されています。クジラを殺してまで得る調査資料を必要としていないというのが各国の見解のようです。

国際法に照らして考えると現在食料資源が乏しい国においては例外的に捕鯨が容認されているようですが、それは日本には当てはまらないというのが国際社会の評価です。確かに世界第3位の経済大国である日本はどうしてもクジラを捕らないと生活できないというわけではないと諸国が見るのも無理からぬことかもしれません。

もっとも、日本は歴史的に、捕鯨国であり、守るべき文化であると主張していますが、海外の評価は日本で捕鯨の伝統的文化があるのはごく一部の地域で、全国的に捕鯨が盛んになったのは近年であることや日本の捕鯨方法は外国から学んだものであることなどから、伝統的文化とは思われていないようです。

また、日本人の大半はクジラを食べておらず、好きだと考えている人も少ないという評価も受けています。確かにわたしもクジラを食べませんが、周りに好きだという人もいませんね。

2、捕鯨の方法が残酷であるという点について

捕鯨の際とられている方法とは爆薬を先端に付けた銛を、船の上に設置した大砲から放ち、この銛が30センチほどの深さで体に突き刺さると爆薬が爆発し、これが脊髄を損傷させてクジラは息絶えるというものだそうです。

しかし、実際には即死はせず、もがき苦しんで死んでゆくそうです。また、銛は急所を外すこともあるので二次的な措置がとられクジラを必要以上に苦しめます。

現在のところクジラが苦しまない方法で捕獲する方法は存在していません。このような捕鯨は動物虐待であり、禁じるべきであるというのが反対者たちの見解です。

もっとも、食肉として屠殺される鶏や豚や牛も同じではないかという意見もあります。殺されるという点では同様ですが、殺され方という点で異なっています。

屠殺の際は動物が苦しまない方法で行うことが勧められています。しかし、家畜ではないクジラの場合、狩りと同じでそのようなことは行えません。結果的に残酷にクジラを捕獲して殺してしまいます。しかも食用にする部分は傷をつけないようにしますから、結果的にクジラは長時間苦しみ死んでゆくことになります。このような捕獲方法が問題視されているのです。

以上の2点について考えあなたはどう判断しますか?

殺して食べるという点だけを考えるとクジラも、牛も、豚も、鶏も同じかもしれませんが、家畜として管理している限り、牛や豚や鶏は絶滅することはありません。しかし、クジラは海洋で生活していて実数を把握することは出来ません。家畜とすることも出来ませんから、コントロールしないと絶滅してしまいます。

また屠殺方法に関しても家畜は最大限苦しまないで行う方法がありますが、クジラにはそれが出来ません。

このような理由から国際社会は捕鯨を禁止する方向に舵を切っています。イギリスは日本よりも捕鯨の歴史が長いようですが、反捕鯨国としての立場を保っています。日本も、鳥獣保護法など、以前は歴史的に捕まえていた猿や、スズメやカモシカなどを保護する法律が施行されたらそれに国民の大半は従っています。クジラも同様なのではないでしょうか?

国際社会において日本の立場と国民の常識がとわれている問題と言えるかもしれません。

 

 

もっとも、日本において捕鯨が産業となっている地域があることも事実です。例えば和歌山県太地町は明らかにクジラ産業で町の経済が成り立っています。太地はクジラの町です。あの町からクジラを取り上げてしまったら町民はどうなるのでしょう?

法律というのは融通が利かないもので、ましてや国際法ともなればなおさらです。しかし、国際捕鯨委員会(IWC)はアラスカなどの地域においては原住民生存捕鯨と呼ばれる捕鯨が例外的措置として許されています。太地町などの人々が生存する例外的措置も設けられないのでしょうかね?アラスカは食料資源が乏しいので例外的措置。日本は裕福なので駄目と言う大雑把な判断ではなかなかうまくゆかないと思いますが。。。





クジラだけに限らず、このような動物愛護に関係した問題に関しては一つの動物を守るために他を犠牲にすることを法律で定めることだけは避けなければいけないですよね。

例えばクジラの絶滅を食い止めるために作られた法律によって生活できなくなった人たちが命を絶ったとか。。。

それは『愛護』の精神に反します。

クジラの絶滅を食い止めるために行えることを行う。これには賛成です。

でも、現在のところその産業で生活している人の今後の生活を保護することも同時に考えてゆかなくてはなりませんね。

動物愛護

三重県尾鷲市立宮之上小学校の中村佳栄先生が地震と津波から子供たちが自分で自分の命を守るため、子供の意識を高めるために「てんでんこのうた」という歌を作ったことが注目を集めていますね。紀伊半島はこれまでにも津波の被害を受けてきましたし、今後もかなりの確率で津波の被害を受けると予想されていますので、尾鷲市の子供たちの意識の中に、このような歌での防災意識を擦り込むことはとても良いことだと思います。

歌を聴きましたが、とても子供らしい、素朴な歌で、歌詞の中にしっかり、危険が生じた時に行うことが取り入れられています。

中村先生は避難訓練をしても危機意識を持たない子供たちにどうしたら意識を植え込むことが出来るかと考え、歌の好きな子供たちだったので、歌で意識を植え込もうとこの『てんでんこのうた』を作るために何度も東北被災地をおとずれたそうです。

歌われていることを要約すると、

『地震が来たら、まず頭を守り、揺れがとまるまでじっとしているように。

揺れがとまったらガラスや壁に気をつけて急いで逃げるように。

津波が来るので、遠くではなく高いところに逃げるように。

過信しないで出来る限り高いところに。

逃げて津波がこなくても100回空振りでも今度も逃げるように。

自分の命は自分で守るように。大人になっても忘れないように。』

3番までの歌ですが、必ず『てんでんこ』という言葉が繰り返されています。

この『てんでんこ』とは東北地方の言葉で、「各自」、「めいめい」「てんでんばらばら」を意味し、つまり津波などの災害が生じたら各自なりふり構わず逃げるように、自分の命は自分で守るようにという意味で、1990年ころから東北地方では防災標語として用いられ『津波てんでんこ』という歌も今回の尾鷲市の中村佳栄先生の作った『てんでんこのうた』以前に存在していて、東北では防災意識を高めるために用いられています。

三重県尾鷲市の中村佳栄先生の作った『てんでんこのうた』は三重県内外の教育現場で注目を集め、東北の宮城県東松島市で、津波の記録を刻んだ石碑の完成式が行われることになった時に、その式典で、「てんでんこの歌」を地元の子どもたちに歌ってもらおうという計画が持ち上がったようですが、地元の教育者たちや子供たちの気持ちは複雑で、結局、式典では『てんでんこのうた』は歌われなかったようですね。

確かにその気持ちもよくわかります。被災地はてんでんばらばらになってなんとか自分の命を長らえた人たちで構成されています。『てんでんこ』は辛い経験を思い起こす言葉です。

ある被災者は津波から逃げる際、大渋滞で、一方通行を逆走し、『交通違反』を犯して自分の命を長らえましたが、そのことが心の傷になっていると述べていました。

被災地の人々に今必要なのは防災意識を高めることよりも、慰めなのかもしれませんね。

今後災害が生じるかもしれない尾鷲市のような地域には東北の教訓を生かして子供の時から防災意識を高めてゆくことは重要なので、この『てんでんこのうた』がその為に役立つと良いですね。

もっとも、被災地の東北も今後またあのような津波が来ないという保証はありませんから防災意識を高めるために出来ることは何でも行ってゆけると良いですね。

災害が生じたとき、想定外のことは必ず生じるものです。

避難所や防潮堤は私たちの命を真に守るものとはならでしょう。

個々の意識の向上は被害を最小限にとどめる鍵ですね。

災害

岩手県の三陸鉄道とネスレ日本がコラボして、『切符カット』と言う、三陸鉄道全区間で”切符”として使用できる「キットカット 」を6月16日(月)より発売するようですね。

東日本大震災で甚大な被害を受けた三陸鉄道が全線運行再開されましたが、この『切符カット』は最後の復旧区間であった北リアス線の島越-田野畑間の乗車運賃に相当する「¥190」の無料乗車券になるようで、その区間だけではなく、三陸鉄道前線で使用することが出来るようです。

ネスレはこれまでこの「キットカット」で様々なアイデアで利益を伸ばしてきましたが、切符として使える「キットカット」は世界初だそうです。

ネスレさんニクいことをやってくれますね。希望小売価格は税込みで¥108だそうで、2014年6月16日(月)~2015年5月31日(日)までの期間切符として一回の乗車につき複数のパッケージ(外箱)利用が可能だそうです。




「切符カット」の購入は、全国の鉄道系コンビニエンスストア、東北地域のスーパー・コンビニエンスストア、東京タワー3F「キット、ずっとミュージアムカフェ」物販コーナー内などで出来るようです。

このような企画によって三陸鉄道を利用する人が増え、復興が加速すると良いですね。

この「キットカット」は「きっと勝つと」という九州地方の方言に似ていることから九州地方の学生の受験のお守りとしても人気です。また様々なご当地「キットカット」も発売されていて、味もオリジナルのチョコレートにとどまらず、宇治抹茶、ほうじ茶、わさび、ずんだ、いちご、ヨーグルト、巨峰、夕張メロン、マンゴー、パッションフルーツやバナナに信州リンゴ
、ラズベリー、ショコラトリー、プリン、ピザなどバリエーションが豊富で、食べ方も最近では「焼きキットカット」なども試されているようで、焦げてしまわないように焼くにはコツがいるようですが、焼きに成功した人たちからは多くの好意的な意見が見られています。

このように日本に本当になじみのお菓子である「キットカット」ですが、もともとはイングランドのヨークにあったロントリーという菓子会社が開発したものです。現在ロントリーはネスレに買収されていますので、アメリカ国内ではハーシーズが販売している「キットカット」もあるものの、「キットカット」の国際展開のほとんどはネスレが行っているようです。

80年の間世界中の人々の生活に密着し、時には人を励まし、人から愛されてきた「キットカット」。

『切符カット』として東北の人々の励ましになってほしいですね。


「切符カット」の商品情報など詳細はネスレ日本公式ページで公開しています。

ネスレ日本 – 公式ホームーページ

経済

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