動物愛護の記事一覧

2014年3月31日に国際司法裁判所(ICJ)が南極海での調査捕鯨中止を日本に命じた判決が出されましたが、楽天などネット通販大手が鯨肉の販売を禁じたり、仕入れをやめる飲食店が出始めたりしているようで、南極海での調査捕鯨中止を日本に命じた判決の影響が広がっています。

私たち人間は魚を食べますし、鶏肉や豚肉や牛肉を食べますし、それを禁じられてはいないのに、どうしてクジラは食べては行けないのか、日本の捕鯨の何が問題視されているのか考えてみましょう。

まず現在、捕鯨賛成国

日本、ノルウェー、アイスランド、デンマーク、ロシア、モロッコ、カンボジアなどです。

捕鯨反対国

英国、米国、ブラジル、オーストラリア、ニュージーランド、フィンランド、フランス、スペイン、ドイツ、イスラエルなどです。

ここからまず、世界の主要国、影響力の強い国々は捕鯨反対国であるということが分かるでしょう。

民主主義的に問題を解決するなら多数決です。捕鯨反対国が多数を占めているわけですから、決められた法律は守らなければ国際社会をリードする国にはなれないでしょうね。

そういった意味でこの世界的な反捕鯨の風潮が変わらない限り、日本がだだをこね続けるのは賢明ではないでしょう。実際、日本政府も判決結果に従っていますし、企業もそれに従っているということです。

では捕鯨反対国はなぜ捕鯨反対なのでしょうか?

その理由としては主に次のことがあげられます。

1、クジラ乱獲による絶滅の危惧。

2、捕鯨の方法が残酷である。

 

 

1、クジラ乱獲による絶滅の危惧について

長年の人類が行ってきた捕鯨によってクジラの数が激減しました。その結果国際捕鯨取締条約に基づき、商業目的の捕鯨が禁止されています。クジラは魚と異なりほ乳類ですから、沢山の子孫を一度に残すことは出来ません。子クジラの発育にも時間がかかるため、一般の漁業のように捕っていると絶滅してしまいます。現に乱獲により、世界的に数が激減し、商業捕鯨が禁じられるに至りました。もっとも例外もあり、食料資源の乏しい、アラスカなどの北極圏においては原住民生存捕鯨と呼ばれる捕鯨が例外的措置として許されています。また、研究目的の調査捕鯨は許されており、日本がこれまで行ってきたのはこの調査捕鯨です。ただ、この日本の調査捕鯨は名ばかりであり、実際は商業捕鯨であるとして各国から批判を浴びてきました。

確かに、日本人が食卓に並ぶクジラが調査目的として捕られたものであると認識して食べていた人は多くないかもしれません。

クジラの生態調査に関しては各国ではクジラを生きたまま観察し、調査する方法が採用されるようになっており、日本が行っている調査捕鯨はクジラを殺してしまうので調査資料としては一回きりのもので、無駄が多く、結果的にその肉を商業利用するしかなくなっており、問題視されています。クジラを殺してまで得る調査資料を必要としていないというのが各国の見解のようです。

国際法に照らして考えると現在食料資源が乏しい国においては例外的に捕鯨が容認されているようですが、それは日本には当てはまらないというのが国際社会の評価です。確かに世界第3位の経済大国である日本はどうしてもクジラを捕らないと生活できないというわけではないと諸国が見るのも無理からぬことかもしれません。

もっとも、日本は歴史的に、捕鯨国であり、守るべき文化であると主張していますが、海外の評価は日本で捕鯨の伝統的文化があるのはごく一部の地域で、全国的に捕鯨が盛んになったのは近年であることや日本の捕鯨方法は外国から学んだものであることなどから、伝統的文化とは思われていないようです。

また、日本人の大半はクジラを食べておらず、好きだと考えている人も少ないという評価も受けています。確かにわたしもクジラを食べませんが、周りに好きだという人もいませんね。

2、捕鯨の方法が残酷であるという点について

捕鯨の際とられている方法とは爆薬を先端に付けた銛を、船の上に設置した大砲から放ち、この銛が30センチほどの深さで体に突き刺さると爆薬が爆発し、これが脊髄を損傷させてクジラは息絶えるというものだそうです。

しかし、実際には即死はせず、もがき苦しんで死んでゆくそうです。また、銛は急所を外すこともあるので二次的な措置がとられクジラを必要以上に苦しめます。

現在のところクジラが苦しまない方法で捕獲する方法は存在していません。このような捕鯨は動物虐待であり、禁じるべきであるというのが反対者たちの見解です。

もっとも、食肉として屠殺される鶏や豚や牛も同じではないかという意見もあります。殺されるという点では同様ですが、殺され方という点で異なっています。

屠殺の際は動物が苦しまない方法で行うことが勧められています。しかし、家畜ではないクジラの場合、狩りと同じでそのようなことは行えません。結果的に残酷にクジラを捕獲して殺してしまいます。しかも食用にする部分は傷をつけないようにしますから、結果的にクジラは長時間苦しみ死んでゆくことになります。このような捕獲方法が問題視されているのです。

以上の2点について考えあなたはどう判断しますか?

殺して食べるという点だけを考えるとクジラも、牛も、豚も、鶏も同じかもしれませんが、家畜として管理している限り、牛や豚や鶏は絶滅することはありません。しかし、クジラは海洋で生活していて実数を把握することは出来ません。家畜とすることも出来ませんから、コントロールしないと絶滅してしまいます。

また屠殺方法に関しても家畜は最大限苦しまないで行う方法がありますが、クジラにはそれが出来ません。

このような理由から国際社会は捕鯨を禁止する方向に舵を切っています。イギリスは日本よりも捕鯨の歴史が長いようですが、反捕鯨国としての立場を保っています。日本も、鳥獣保護法など、以前は歴史的に捕まえていた猿や、スズメやカモシカなどを保護する法律が施行されたらそれに国民の大半は従っています。クジラも同様なのではないでしょうか?

国際社会において日本の立場と国民の常識がとわれている問題と言えるかもしれません。

 

 

もっとも、日本において捕鯨が産業となっている地域があることも事実です。例えば和歌山県太地町は明らかにクジラ産業で町の経済が成り立っています。太地はクジラの町です。あの町からクジラを取り上げてしまったら町民はどうなるのでしょう?

法律というのは融通が利かないもので、ましてや国際法ともなればなおさらです。しかし、国際捕鯨委員会(IWC)はアラスカなどの地域においては原住民生存捕鯨と呼ばれる捕鯨が例外的措置として許されています。太地町などの人々が生存する例外的措置も設けられないのでしょうかね?アラスカは食料資源が乏しいので例外的措置。日本は裕福なので駄目と言う大雑把な判断ではなかなかうまくゆかないと思いますが。。。





クジラだけに限らず、このような動物愛護に関係した問題に関しては一つの動物を守るために他を犠牲にすることを法律で定めることだけは避けなければいけないですよね。

例えばクジラの絶滅を食い止めるために作られた法律によって生活できなくなった人たちが命を絶ったとか。。。

それは『愛護』の精神に反します。

クジラの絶滅を食い止めるために行えることを行う。これには賛成です。

でも、現在のところその産業で生活している人の今後の生活を保護することも同時に考えてゆかなくてはなりませんね。

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